コミュニティラジオの頃

(1)タイムリミットは25歳

19歳の時、生まれた町北見から札幌に引っ越し、一人暮らしを始めた。

表現なのか芸術なのか面白いことなのかこれと言ったこだわりもポリシーもなく

とにかく世に出る方法は何があるだろう?

そんなことを考えてるうちに演劇というものがあることを知った。

歌は歌えないし踊りは踊れないし映画は金がかかりそうだし

テレビやラジオはオーディションなり面接なりを通過しなくちゃ出られないし、

当時はインターネットも携帯もなかった。

んで、演劇だったら劇場借りたらだれでもできるんじゃ??

ホントそんな安易な理由が演劇のスタートライン。

演劇を見たことすらなかったのに劇団作って募集かけて、

募集の仕方タイミングがたまたまよかったのか劇団員が40人くらいになって

でもやってる本人がテキトーだから、入団退団の出入りが激しくて

やっとやり方が分かったころには23歳になっていた。

そのころの劇団員は5人。一回の公演で100人も入ればいい方な、

そんなどこにでもある小さな劇団で脚本演出、たまに役者をしていた。

収入は舞台やイベントの手伝いのほかはアルバイト。

安易に始めたもののこの世界で才能あるとは欠片も思えず

だけどじゃあ次何やる?でただのフリーターには次も見つからない。

きっと誰からも何も言われなかったら

そのまま惰性でフリーターの舞台人を続けてたのかなと思う。

何か言われたわけですよ。実の父親に。

「25歳までに芽が出なかったら辞めなさい」

と。

言われたのが22歳の時かな。

溝手の舞台も1回だけ見に来てくれたはず。

ま、見て思ったんだろうね。

「これじゃ大成しない」

って。

でも本人が好きでやってることを止めるのも…と。

だったら25歳まで。

そう考えたのでしょう。

25歳で好きなことで飯が食えてなかったら諦める。

そして社会人になる。

それが父との約束だった。

23歳24歳・・・何も変わらない。

それどころか劇団員が3人に減った。

客も100人を割った。

ダメじゃん。

1994年になった。

この年の8月13日溝手は25歳になる。

でね。溝手の中の考えでは

25歳まで・・・というのは学年で25歳。

つまり1994年8月に25歳になるので

1995年3月までって解釈してた。

ところが父親は違ったね。

この年の正月実家に帰ったら父に言われた。

「今年8月で25歳だな。8月から俺が紹介する会社で働きなさい」

ん、なにをぉ???

まだ1年3か月あると思ったタイムリミットが

一気に7か月に減ってしまった。

しかも8月になった時点で就職先まで決められている。

父からしたら19から好きなことやらせてやったんだから、

あとはまっとうに働きなさいということだったんだろうな。

にしてもですよ・・・8月まであと7か月。

これはなんとかしなければ。。。

溝手の悪あがきが始まります。

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