溝手が書いた原稿が、初めて活字になったのは19歳の時。
当時札幌でフリーターをしていた溝手は、
あるフリーぺーパーのスタッフになった。
そのフリーペーパーとは、札幌市内の演劇批評誌。
プロアマ問わず札幌市内の演劇公演のレビューを書くというもので、
何か表現の仕事に携わりたい!という理由だけで連絡した溝手が
人手不足であっという間にスタッフに入れてもらった。
当時演劇知識はほぼゼロ。
高校時代友人の芝居を一回手伝っただけで
見た芝居も学校の授業の一環で見せられるものくらい。
そんな立場で演劇批評誌でレビューを書く。
今考えればとんでもないことだし、
かなり的外れなレビューを書いて
演劇関係者からも不評だったと記憶している。
その頃につけていたペンネームが
佐久りん。
特に理由はなかったが、
○○りんって響きが可愛いなと。
結構まじめな名前で書いてる方が多かったので
目立つ意味でもこの名前にした記憶がある。
佐久りんネームでの演劇批評生活は2年くらい続いた。
そのうち人の芝居見て書くより自分でやりたいと。
劇団のスタッフになったり、脚本書いたり
そのうち自分の劇団まで作ってしまった。
で、その演劇活動がその後、ラジオパーソナリティなり
いまやってるイベントなりにつながっているのだから、
無鉄砲の思い付き発射も、ちゃんと今につながっているのだ。
10年前、すでにライターとして生計を立てていた溝手は
新たに馬券ライターという仕事をすることになる。
通常のライターは本名で
コラムやエッセー、グルメや観光情報、スポーツの原稿を書いていた。
馬券ライターとしての活動は、それらと大きく毛色が異なる。
別に名前を変える必要はなかったが、
まじめにスポーツの未来を語ったり、温泉街のコラムを書いてる人間が
「天皇賞は万馬券!」
などというテキストを書くと、そのギャップは不味いかなと思い、
馬券ライターの時だけペンネームをつけることにした。
で、考えて決めた名前が
佐久凛才。
さくりんさいと呼ぶ。
別に深い意味はない。
無いが、その20年前曲がりなりにも物を書く活動を始めた時につけた
佐久りん
をイメージしてつけたものだ。
○○りんは可愛いイメージと書いたが
凛才にしたらなんか古豪の作家っぽいでしょ、と勝手に思って。
佐久りんは2年と持たずライター界から姿を消したが
佐久凛才は今も馬券ライターとして活動中。
気づいたら10年もやっている。
「溝手さんって佐久凛才なんですか?」
この前知り合いに言われたから
「え、佐久凛才???誰???」
と答えておいた(笑)。
まっ、招待バレバレの覆面ライターみたいなもんですわ。