コミュニティラジオの頃

(0)コミュニティラジオの頃 はじめに

プロフィールなどにも書いているので知ってる人もいるでしょうが、

昔ラジオ局で働いていました。

コミュニティFMと呼ばれる小さなラジオ局。

その地域しか聞こえない小さいラジオ局で

5年間契約社員として働いていました。

入社したのが25歳になる時、

30歳になろうとした夏に退職。

ちょうど5年間働いていました。

人口10数万の小さい町でしか聞こえないラジオ局ですので、

日本中のほとんどの人がその存在も知らない。

いまのようにインターネットが盛んになる前なので

地域以外の人にとっては全く情報のない時代。

小さな町でコツコツ番組を作り、

何人聞いているのかわからないラジオの向こうのリスナーへ向け、

あぁだこぉだと喋り続けていました。

ラジオ局を辞めて全然違う職種に就いたこともあり、

一時はラジオをしていたことを公言していない時期もありました(隠していたというほどオーバーではないが)。

フリーランスや出版編集や広告代理店と委託契約、そして一人ぼっちの会社経営と続く中で、

自分のプロフもちゃんと書かないとなぁと、十年くらい前からかな?

ちゃんとプロフィールにも掲載しています。

あの頃いったい何人くらいのリスナーがいたのか全く分かりませんが、

今でもあの頃のリスナーから連絡が来たり繋がったりしています。

あの頃一緒にラジオ番組を作っていた仲間とも、今でも仕事をしたり遊んだりしています。

そして、ラジオを辞めて10年以上経ってから

SNSで

「昔みぞっちのラジオ聞いてました」

とか

「ファンでした」

みたいな連絡が来たり、

仕事のやり取りでメールや名刺を交換すると、

珍しい名前も手伝って

「溝手さんってあの溝手さんですか?」

と、どの溝手さんだよって気づかれ方をすることも稀にあります。

この上の10行の出来事はホントに数えるほどの数で

だから覚えてる程度のことなのではありますが、

少なくても25歳から5年間ラジオの仕事に携わったことが

今の自分に繋がっているし、

あの5年間があったから曲がりなりにも表現なりクリエイティブなりの

仕事の端くれにいられるんだなと思っています。

んなこと書きながら人生もとっくに半ばを過ぎ、

50歳になってしまった今。

ラジオデビューしてから四半世紀経ってるんだなぁと振り返りながら

せっかくブログも持ってるんで、思い出しながら何か書いてみよっかなと

思ったのがコミュニティラジオの頃です。

誰に頼まれたわけでも期待されてるわけでもなく勝手に書くので

途中で書くのを辞めるかもしれないし、

書きたい順に書くので時空列もバラバラ。

嫌な思い出や自分に都合の悪いことはきっと割愛しますが(笑)、

迷いながらも悩みながらも

人生一回きり、一回きりの人生楽しまなくちゃ損々精神で

ひたすら走っていた20代後半の5年間のことを

ここに書きしたためたいと思います。

溝手孝司

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