前にM-1の準決勝の個人的得点を書いたり
決勝の展望を書いたりしたもんだから、
「2020年のM-1の結果どう思った?」
みたいな質問を多く聞かれました。
これは漫才か論争ですね。
M-1の次の日にでもブログ書こうかと思っていたのですが、
あぁだこぉだともう3週間以上経ってしまったので
今さら書いても鮮度もクソもないので
こんなの○○じゃない!と言われるものについて書いてみます。
新しいこと。
今までやってなかったこと、見てなかったこと。
これらが動くとき、必ずこう言われるんですよね。
こんなの○○じゃない、普通はこぉだよ…と。
「こんなのロックじゃない」
「これはお笑いじゃない」
「こんな小説はおかしい」
「この舞台は普通じゃない」
エンタメの世界に限らず
「大学くらい出るのが当たり前だ」
「就職してすぐ辞めるのはおかしい」
「フリーターなんて社会人と言えない」
とかね。
でもその普通とか、当たり前って普遍的なものじゃないんですよね。
たとえば武士がいた頃は、悪い人を殺しても罪を問われなかったけど
今は超極悪人を殺したって殺人罪になる。
とかね。
そこまで遡るんかい!と言われそうですが、その時の正解が今の非常識だったり、
昔のあり得ない出来事が今では当たり前になってたりなんてことは、もう当然のごとく起こってるんですよ。
だから
「こんなの○○じゃない」
や
「普通は○○だろ」
は、
「2021年の今の世界でこれは○○じゃないかも」
なのです。
これまでの歴史も社会もエンタメも
そこまでいかなくても同級生や近所の人で
うまくいってる人、羨ましいなって思う人、
その多くは数年前10年前からすごかったですか?
「ちょっと変わった奴だった」
「真面目な奴なんだが時々おかしなことを言ってた」
「行動的だったがやってることがよくわからなかった」
そう言う人が、変わってると言われながらその道を究めたりしてるんですよね。
「最近の若者は・・・」
とかもそうですな。
「最近の若者は・・・」
と否定するのは楽。
否定されても「うるせー」と反発するのも実は楽。
否定せずに良い部分を見つけられる大人と
否定されても諦めずに続ける自信とハートがある若者
それが〇年後に結果を出すんだよなぁ。
継続は力なり。
昔の人はいい言葉を考えたものだ。
継続だよな。
継続が
「こんなの○○じゃない」
も
「○○といえばこれだ」
に
変わる可能性だって十分にあるのだから。