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25歳まであと3か月に迫った1994年5月。
帯広にこの秋開局するラジオ局の社員募集を知り履歴書と自己PRテープを送る溝手。
規定外のテープを送り、やや捨て鉢状態であったが、
それから一週間と経たずにハガキが届く。
面接日のお知らせ。
6月〇日 会場▲▲
もちろん帯広市内である。
再来週の日曜か・・・え、日曜?
この日、札幌プチ芸能の数少ない仕事が入っていた。
その仕事は、某大学学園祭のステージイベント。
さまざまなステージが行われる中の、
賑やかし的にコントをする。
そんな仕事だった。
ギャラは3万くらいだったと記憶する。
こんな仕事、年に数えるほどしか入らないのだが
よりにもよってラジオ局の面接日に…。
目先の3万より将来の就職であるのは本音だが、
まさか本番2週間前にキャンセルするわけにもいかない。
てことはだ・・・。
私はハガキに書かれている人事担当者に電話をする。
仕事が入ってまして行けません。別な日に変えてもらえないでしょうか?
まっ、普通に考えたらアウトだよな。
面接をすっぽかすわけだから。
先方からは「わかりました。あらためてご連絡します」と言われ電話を切った。
あらためて・・・
まぁ、普通はないよなー。
でも、先に入っている仕事を受けるが筋だもんなぁ。
これで連絡が来なかったら仕方ないわな…。
2週間後。
学園祭のステージは、大コケ。
というか、途中からほとんど誰も見ていない状況。
ステージ横のジュース販売コーナーがあり、
そこでジュースを飲みながら大声で笑う学生の声に
舞台の我々の声がかき消される。
私の人生の中でもかなり上位に入るむなしい時間だった。
こんなことなら面接に行けば・・・
と思ったが、もう遅い。
封筒に入った3万円をもらい、学校を後にした。
こんなことなら・・・。
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