社長ブログ

タカとヒデのこと(1)

北見に住んでいた子どもの頃、近所に児童館があって

放課後になるとそこへよく遊びに行っていた。

野球、ドッチボール、缶蹴り、ポコペン、鬼ごっこ

まぁよく飽きもせず毎日遊んでいたものだ。

児童館って場所は下は幼稚園児から上は中学生くらいまで

歳の差関係なく一緒に遊ぶ。

タカとヒデは児童館仲間で、特によく遊んだ記憶がある。

たしかタカが俺の3個下でヒデが年子のはず。

一時期は児童館が休館日の日曜日も一緒に遊んだりして、

学校の友達以上に一緒にいた記憶がある。

そんなタカとヒデが北見を離れることになる。

父親の転勤。よくあることだ。

3月末。タカとヒデはJR北見駅から札幌へ向かう列車に乗る。

たしか駅まで見送りに行ったんじゃないかな。

「札幌なら遠くないし、また遊ぼうね」

みたいなことも行ったんじゃないかな。

車で5時間。遠いけどね。

引っ越した後、一度だけ手紙が届いた。

「札幌に来ることがあったら連絡ください」

溝手も一度返事を返した。

で、それっきり。

子どもの付き合いなんてそんなもんだ。

当時はネットもないし、もちろんSNSもないからね。

昭和50年代の話さ。

で、時は過ぎ平成になる。

世紀末なんて言葉が聞こえ始めた1996年。

溝手は帯広でラジオの仕事をしていた。

1年目は夜の放送を担当していたが、

2年目の96年春から1年間だけ昼のパーソナリティをしていたのだ。

主婦から総スカンで一年で夜に戻ったけどねw

その昼の放送の一回目。

一回目ってことでオープニングで自己紹介をした。

「溝手孝司と申します。さんずいの溝、手のひらの手、親孝行の孝に司で溝手孝司。生まれも育ちも北見市の26歳・・・」

こぉんな自己紹介をしたはず。

その日の放送後、局に一人の男性が訪ねてきたんだ。

「○○さんという方が溝手さんに会いたいと言ってるんですが、どうします?」

溝手ほどじゃないが珍しい苗字。

あ、、、そこには、ヒデがいた。

小学生の時以来、たぶん14-5年ぶりの再会。

お互い年相応に老けてたがすぐに分かった。

出会った頃小学生だったヒデも当然社会人。

今は帯広で働いているそう。

「営業カーは、いつもHBCが流れてるんですが、なぜか今日に限ってFMウイングが流れてて、聞いてたら、、、え!溝手って言ってるって驚いて!!」

そりゃ驚くよな。ラジオ聞いてたらガキの頃の友達が喋ってるんだもん。

こっちも驚いたよ。

ラジオで喋ってたら、ガキの頃の友達が訪ねてきたんだから。

後日一緒に飲みに行き、「また飲もうぜ」

と言ったものの、まぁラジオの仕事はそれなりに忙しいし、

ヒデだって忙しい。

まぁ、近いうちに会いましょうやと思っているうちに半年ほど経った時、

ヒデが局を訪ねてきた。

「実は転勤で札幌に行くことになりました」

あらそうなんだ。

でもその頃溝手は月一くらいで札幌行ってたんだよね。

札幌には妹も住んでる。

実は児童館では妹もヒデたちと一緒に遊んでた。

タカも札幌に住んでいる。

「じゃあタカとヒデと妹と4人で会おうぜ」

ヒデの転勤後、札幌で飲みに行った。

じゃあまたね!

とその頃溝手は27歳くらいか。

またいつでも会えるさ…なぁんて思っていても

案外連絡ってしないもの。

まだ20世紀。

溝手は携帯持ってなかったし、

もちろんSNSだって無いんだぜ。

1999年溝手はラジオ局をやめて、札幌に引っ越す。

でもその頃は、もうヒデが札幌にいることも忘れてたよ。

まぁ、そんなものだ。

ところが・・・

この話には続きがある。