たとえば10代の若者が
「自分の夢のために、何もかも捨てて外国に行くぞ!」
などといった場合、一部の支援者を除けばこう答えるでしょう。
「まずは高校を卒業してから」
「大学を出てからでも遅くないよ」
大学卒業間際で普通の就職以外の道を選択しようとしている人に対しては
「せっかく大学まで出たんだから」
「まずは社会に出てから考えるのも遅くないと思うよ」
これらのことを言われ
「そうかぁ。じゃあまずは高校出ようかな」
「一度会社員になってから次のこと考えようかな」
そう決心した人の多くは、そのまま社会の中で生きていくことになり
たまに
「いつか学校をやめる」
「会社を辞めて…」
と思っても前出のようなアドバイスをもらうと、やっぱり行動できず、
それを繰り返し
「あの時こうしていれば…」
と、後悔は口にするが、行動はしない。
そして助言を無視して行動した中のごく一部の成功者を除くと
「あの時、学校をやめなければ」
と後悔するか
「それでもこの道を選んだことは後悔していない」
と、言い切るかのどちらかだ。
若者を例に書いてしまったが
若者に限らず
30代でも40代でも50代でも60代でも
もっと上の世代でも人生の岐路なんてものは、何度でもぶち当たる。
そしてその際、ひとに相談したり世間のことを考えると、たいてい自分の選択したいことは反対されたりするものだ。
反対を押し切って行動してうまくいかないと「ほらね」と言われるし、
反対に従い動きを止めると「やっぱりあの時」と後悔する。
正直なところ、答えはわからないので動いた方が正解か不正解かなんてことはわからない。
だけど言えるのは、人に忠告をされて動くのを辞めた人の多くは
忠告されたから辞めたのではなく、
辞めるきっかけを探して、そのきっかけをうまいこともらったに過ぎない。
「あの時、もし○○さんに止められなかったら」
をもらったから、諦めたと。
そう言う人たくさんいるよね。
もちろん忠告全部無視で勝手に突き進む人いるけどさぁ。
ただ後者の人だったり、自分の進むべき道へ進んでいる人の多くは、
人に相談しても忠告をもらっても
そのアドバイスがどんなに辛辣だったりしたところで
自分の中で答えは出ていて
人に聞くのはアドバイスを求めるというより
確認作業だったりするもんだ。
その確認が正解の人も大不正解の人もいるけどね。
人生答えなんてものは、きっと存在しないからね。