お笑いを職業にしている人は大変だと思う。
自分が辛い時や苦しい時でも人を笑わせなくてはいけない。
「今日体調悪いんですみません」
や
「昨日大切な友人が事故で亡くなりまして」
と挨拶してから笑いを始めても受けるハズがないし、客も笑えない。
昔あるお笑いのプロがそのことを書物で書いていた。
ミュージシャンなら恋人が死んだ日に、涙ながらに歌ってもそれは絵になる。
でも芸人はそんな時でもバカやって笑わさなければいけない・・・と。
どっちの職業がえらいとか上とかしたとかは全くないが
悲しい時や辛い時、お笑いの職業は力を発揮できない。
笑いと言えば「笑いのカイブツ」という映画を見た。
ハガキ職人からお笑いの作家になった男の自伝的小説の映画版。
人間関係が不得意で人生のすべてを笑いに費やしている男の話。
大喜利のネタを5秒に1本考える。
1時間なら72本、2時間なら144本面白いネタを書き続ける。
具合が悪くても腹が減ってても機嫌が悪くても雨でも嵐でも
笑いだけを考える。
悲しい時や辛い時でも笑いを発信する。
だけどその発信する姿が、見ていて心が痛い。
何もそんなに・・・と。
スタンダップコメディのぜんじろうのステージを見た。
スタンダップコメディってアメリカが主流で
政治や人種差別やとにかく毒舌だったり世相を斬ったりみたいなイメージが強いのだが・・・出るや否やぜんじろうはそれを否定する。
「スタンダップコメディは弱者を笑いにしません」
上のものや自分のことなどを笑いにする世界。
見に来ている人や弱いものやいろいろとハンデのある人を腐す笑いは1ミリもない。
何年か前に人を傷つけない笑いが脚光を浴びたが、
ぜんじろうの笑いは、人を傷つけず、マイク一本で笑いと勝負していた。
ちなみに最初に書いた人は、笑いができない状況なのかちょっとお休み中。
笑いのカイブツはどんな時でも笑いのことを考え続けてたから
この人はカイブツじゃないんだね。
でも僕はカイブツより人間の方が好きだ。