フリーライター時代

(2)〇〇を作れば誰でもフリーライターになれる

フリーライター時代はじめから読む

K社のHさんからの電話は仕事の打診だった。

ちょうどそのころ、地元のサッカークラブがJ1への昇格が決まり

タウン誌の中でチームのレギュラーページが決まったそうだ。

ところがサッカーに詳しいライターがいない。

どうしよう?

てことで、ライター志望の売り込み手紙が届いた中の一人

溝手に電話をくれたそうだ。

あちこちに売り込みの手紙を送っていたので

どこに何を送ったのかさっぱり覚えていなかったのだが、

サッカーの依頼が来たくらいだからきっとスポーツ関連のテキストを送ったのであろう・・・と思っていたのだが、

だいぶあとになってHさんに聞くと

溝手が送った原稿は、北野武監督作品への映画レビューだったそうだ。

なんで映画レビュー書いたらサッカーの仕事がもらえたのだろう。

いまだ謎である。

で、サッカーの仕事なものでもちろん聞かれる。

「サッカー詳しいですか?」

Jリーグの試合は何試合か見てる。

地元クラブチームの試合も何試合か見てる。

そう伝えると

「じゃあお願いします」

なんと採用。

あっという間にタウン誌でサッカーのページを任されることになった。

これも後日聞いた話なのだが、タウン誌のクライアントが

[サッカーのページがあるなら」と広告がついていたそうで

その広告のためにシーズンオフ(11-2月)もサッカー記事を書かなきゃいけない。

どうしよう?となっていたそうだ。

そんな感じでタウン誌にてサッカーページを担当。

シーズンオフなので、サポーターへのインタビューや

OBや評論家への取材なんかを行う。

隔週誌なので月2回の取材。

月2本の原稿。

これが仕事。

まぁ、ぶっちゃけこれじゃ飯は食えませんよ。

なのにバイトは辞めてしまった。

あら、どないしよ?

とりあえず知り合いのツテでコールセンターで

週何回かバイトすることにする。

サッカー取材のために「フリーライター」って名刺は作ったものの

この時点ではライター収入は全体の2割程度。

これを2か月続ける。

原稿を届けるのはメールだが、初校再校のテキストは出版社まで受け取りに行く。

いまだったらメールでとか写メでとかPDFでとか簡単なんだろうが

当時はその手段がなく、いいとこFAXくらいだった。

なもんで月に3-4回K社に顔を出す。

Hさんはもちろんのこと、他の編集者とも顔なじみになる。

で、せっかく顔を出すので名刺を配ったり

「なんかあったら声かけてくださいよー」

なんて軽口をペラペラ喋ってると

「溝手さん年末暇?」

と声をかけられる。

年末暇?忘年会の誘いかなくらいに思って

「えぇ、だいたい暇ですよー」

などと軽く答えると

「じゃあ特集おねがいしていい?」

との言葉。

特集?なに?

フリーライター2つ目の仕事が決まる。