溝手の生まれは北見ですが、住んでいたのは19歳まで。
その後、札幌⇒帯広⇒札幌と生活拠点を変え
札幌には32年住んでるんですねー。
で、その間の帯広が5年。
ありふれた言葉を使うと第二の故郷でしょうか。
ブログやほかのメディアなんかでも書いたり喋ったりしてますが
帯広では5年間ラジオの仕事をしてまして、
それが今の溝手の生き方を形成し、
あの5年があったから今も曲がりなりにも
こういった世界で生きていることができる感謝の場です。
といってもやめてすぐの頃はそんな言葉まだガキんちょの溝手から出ることも無く、
自分のキャリアから帯広を隠したり伏せたこともありました。
もう四半世紀も経ちましたんでね、
勝手なわだかまりも自然に消えちゃって
今となっては懐かしいですし、
去年から活動再開してる音楽活動のでみんなんかは
帯広で誕生したもの。
あの頃作った曲も歌ってるしね。
で、そんな帯広に5月末仕事で行きました。

毎度おなじみの福北寄席。
今回は音更、そして浦幌と2日間。
「ととのいました」のねづっちをはじめ
芽室町出身の浪曲師・広沢菊春
帯広出身の漫才師・三拍子
浦幌町出身の講談師・神田茜
と十勝出身の芸人が揃った、ザ・十勝らしい寄席となりました。
上演は5/31.6/1で、その前日に帯広入り。
そこで出会ったのが

北川宏君。
私が帯広で働いていたラジオ局時代。
高校生DJとして毎週1時間喋っていた男でした。
あれから30年以上経ってすっかり忘れていたのですが、
たまたま見たサイトでその名前とちょうど30年分年を取った面影のある写真を見つけ、
お、と思いながらSNSにフォロー。
即返信が来て、今回久々に再会となりました。
ちなみにこういった久々!な人を見つけた時、
溝手は好意を感じた人にはフォロー、それ以外は見て見ぬふりをするのですがw
それに対する相手の反応
A フォローを返してくれて、なおかつ返信をくれる
B フォローを返してくれるが、それきり
C フォローすらない
D 気づいたらブロックされていた
この4パターンがあります。
北川君のようにAのパターンだと、
連絡しあったり機会があったら会おうとなりますが
Bだとそのまま。
なかにはSNSにコメントくれたりとA寄りの人もいますが
寄りじゃない方はつかず離れずの付き合いを。
Cはもちろんそのままスルーで。
Dの時は、いつかなんかやってやろうと思ってます(嘘です、Cと同じ)。
北川君は、久々会ったついでに音更と浦幌にも来てくれました。

音更では元リスナーの大山口君も。
30年前、25歳と高校生だった3人も
久々の再会で話す会話が、酒の量と健康って…普通の年寄りやな。
福北寄席の宣伝でラジオ局にも行きました。
芽室出身の広沢菊春さんが出演。
そのスタジオの外で

私といるのは中谷君。
現・落語芸術協会事務局員。
福北寄席のプロデューサーで、30年前ラジオ局に通っていた大学生DJ。
二人で局で写真を撮ったのはたぶん初めて
「令和の時代にまさかここで二人でいるとは」
と、ちょっと感慨深いものがありました。
帯広では
鳥せい
インデアンカレー
それから北の屋台を巡ったり
仕事以外の時間は、普通に十勝を楽しんでましたな。
浦幌福北寄席を終え
演者たちは帯広空港へ向かい、
溝手はひとり池田駅へ。

二泊三日の短い十勝でしたが、
いろいろ充実したり、考えさせられたり、
そんな旅でございました。
で、余韻に浸る暇なく
再来月はまた十勝です。

今度は清水町で福北寄席。
また新たな再会があればいいなぁ。