コミュニティラジオの頃

(7)帯広に履歴書を送る春

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オーディションに落ち、25歳が近づき、

ちょっとした覚悟を決め始めた1994年の5月。

一本の電話で帯広のラジオ局の社員募集を知る。

正直オーディションでボロ負けし、人に評価されることへの自信を喪失していた中、

海のものとも山のものともわからない、帯広の新ラジオ局のパーソナリティ募集。

しかもオーディションではなく社員募集なわけで、

自分が受けていいものなのか…と迷ったのは正直な気持ちだ。

学歴もない

経歴もない

帯広の人でもない

そんな男を受け入れてくれるものなのか?

あと自分も帯広に行きたいのかホントに?

などと自問自答をしながらも応募の締め切りが明日だったことに気づき、

とりあえず応募だけはしようとコンビニで履歴書を買い、駅横の3分間写真で自分の顔写真を撮る。

パーソナリティ募集の応募に必要なのは

・履歴書

・5分間の自己PRテープ

この1年ほど前、ある人の紹介で広告代理店の面接を受けたことがあった。

その時、面接担当者にこっぴどく叱られたのが経歴

1969年生まれ

1988年高校卒業

溝手の経歴はそれしかない。

高校を卒業してから5年間は、

バイトしたり劇団作ったりなんやかんやあるけど、

サラリーマン歴はないので

これは就職試験に書けるものではないと、書かなかったのだが

「君の履歴書を見て、君を雇いたいと思う企業が現れると思うかい?」

面接担当者はそう言い、さらに溝手の18歳から5年間の経歴を面白がり、経歴書を作ることを進めてくれた。

演劇活動のほとんどはアマチュアで金も名誉もない活動ではあるが、

自分の劇団手伝いの活動も含めると年数本、5年間だと30本以上の作品に関わっている。

ほかにも映画やテレビドラマのエキストラのバイト、イベントのバイト、

あと名のない小さな公募だが、シナリオと小説で小さな賞を取ったことがある。

「履歴書の学歴や資格でウリになるものがないなら、経歴書を別に作ってアピールすべきだよ」

面接担当者に教えられ、その後改めて作った経歴書を持っていくと

「そうそう。そうやって自分を演出することが大事だよ」

とほめてくれた。

まっ、結局その会社には入れてもらえなかったんだけど、その時の経験を生かそう。

高卒から6年間。ブランクしかない履歴書に経歴書別紙と書き、

札幌に来てから6年間の演劇、イベント、執筆などの歴史を思いだせるだけ書いてみる。

知人の劇団の受付を手伝ったり、芝居終了後の撤去作業を手伝ったことも

1993年1月 劇団C公演スタッフ

こーんな感じで6年間の経歴書には数十行の経歴が埋まった。

書かれているもののほとんどがノーギャラのアマチュア活動。

嘘は書いてないけど、すごい活動ではないのにエラソーだ。

そして自己PRテープ。

5分間で何をアピールしろっていうんだろう。

きっと台本書いたり連数したりする人が多いんだろうなと思いながら、

まっ、とりあえず喋るかとレコーダーのRECボタンを押す。

「溝手孝司と申します・・・」

当たり前のこと喋ってもなぁ、でも着飾ってもなぁ、

まぁ今の思いを喋ろうか・・・なぁんて喋ってるうちに

あれ?30分くらい喋ってるぞ。60分テープなんで片面は30分しかない。

やばいぞ・・・

「ということで溝手孝司でした。よろしくおねがいします」

5分間程度の自己PRを、と書かれてる応募規定を無視しての

30分喋りまくり。

取り直そうかと思ったけど

「まっ、いいか」

3行の履歴書と数十行の経歴書、それと規定無視のロング自己PRのカセットテープを封筒に入れ、翌朝ポストに投函した。

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