コミュニティラジオの頃

(2)ラジオのオーディションを受ける冬(前編)

「25歳になるまで芽が出なかったら社会人になりなさい」
8月に25歳の誕生日が迫り、
父親との約束の期限が近づく1994年1月。
ラジオパーソナリティオーディションの記事を見つける。

募集しているのは、札幌のAM局。

子どもの頃初めて聞いたラジオ番組「ベストテン北海道」をオンエアしている放送局だ。

募集内容は、春からのラジオ番組。

春…たぶん番組改編の4月であろう。

ということは、このオーディションに受かってDJデビューを果たせば、

25歳までに芽が出るぞぉ!

これしかない。

私は履歴書と自己アピール文を書いてポストに投函した。

それから一週間後、ラジオ局の人から電話が来た。

「ちょっと局まで遊びに来てくれませんか?」

おっ、きたぞ!

「今週空いてる日ありますか?」

ホントは今すぐにでも行きますよ!と言いたかったが

ただの暇人と思われそうだったので

「ちょっと待ってください」

と手帳を見るふりをしながら

「この日とこの日なら時間取れそうですが・・・」

なぁんて忙しいふりをする。

電話の二日後、局に行き、制作部だかの人と話をする。

それは面接でも試験でもなく、オーディションの打ち合わせ。

一次選考が通って最終オーディションに参加できるそうだ。

当たり前に言われ嬉しかったりドキドキしたりだったが

それを悟られないよう平静を装う。

「最終オーディションって何人なんですか?」

「18人です」

「書類審査は何通くらい応募来たんですか?」

「ちゃんと数えてないけど800通くらいじゃなかったかな」

ワーオ。私の頭の中ではスター街道を駆け上がる自分の姿を妄想する。

「で、オーディション会場ですが」

「はい」

「雪まつりのステージになります」

「はい?」

札幌の冬の名物行事で世界的に有名な札幌雪まつり。

大通公園の1丁目から10丁目までを使った雪まつり会場では

各丁目ごとに、放送局のイベントステージがあり、

さまざまなステージが繰り広げられる。

その中でラジオ局の公開放送として、

未来のラジオスターの公開オーディションを行うという。

「それに・・・私も出るんですね?」

「嫌ですか?」

「いえ。よろしくお願いします」

24歳にして生まれて初めて、オーディションというものに挑戦することになった。

オーディションは、まずスタジオでテープ審査。

続いてステージでの公開収録となる。

で、、、そのスタジオでのテープ審査でやらかしてしまう。

ま、失敗してしまったわけだ。

スタッフから用意されたハガキを一枚読んで、そのハガキの感想をトークする。

そういった内容だったと思うのだが、まったくもって空回り。

どんなハガキだったはどんなトークをしたかは何も覚えてないのだが、

終わった瞬間、審査員と思われるディレクターの顔を見ると、

あきらかに期待外れといった感じで「ハァ」とため息をつかれたのだ。

終わった・・・。

妄想の中のスターへの階段は、六段目くらいですっぽり空洞になっていて

アーレーと落ちる寸前である。

「午後からは公開収録です。収録も審査の対象になりますので頑張ってください」

落胆しスタジオを出た私であったが、まだ終わったわけじゃない。

よし、秘策を出そう。

私は一度家に帰り、あるものを取りに戻った。

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