コミュニティラジオの頃

(13)就職が決まり親に電話する

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コミュニティラジオの頃 はじめに

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25歳になるまで好きなことで飯が食えなければ会社員になる。

そんな約束を親として、25歳の誕生日まで2ヶ月を切った6月26日。

「待たせてもなんなんで、もう言うけど、採用です」

心の準備もなく、好きなことが仕事になった。

ラジオは子供のころから好きだった。

元々は野球が大好きで、9時を過ぎてテレビの野球中継が終わると

いつも続きをラジオで聞いていた。

そのうち野球が終わってから始まるラジオ番組に興味を持った。

はじめはアイドル番組だったりリスエスト番組だったり

そのうち深夜放送や北海道以外のラジオ番組も聞くようになる。

高校生の頃は一日5時間はラジオ聞いてたんじゃないかな。

ニッポン放送、文化放送、MBS、OBC、東海ラジオ・・・

全国各地のラジオを聞きまくって、ハガキを出して、、、

そりゃ大学落ちるわなぁ(汗)。

そんなこんなで大好きだったラジオだったが、

19歳の時から生活の地が札幌に替わり生活スタイルが変わるとバッタリ聞かなくなった。

住んでいたところがJRの線路沿いでラジオを聞こうと思っても雑音が多かったこと、車に乗らなかったのでラジオを聴く機会がなかったこと。

これも影響したけどね。

でも心の中ではラジオがずっと好きで…

というかラジオで喋る人間になりたいなとは思っていて。

でもアナウンサーになるには、それなりの大学に入らなくてはいけない。

札幌に住んでラジオに出るにはどうしたらいいか?

そうだ。有名になればいいんだ。

有名になるにはどうしたらいい?

とりえあず演劇でも始めよう。

そんな不純な動機だから演劇活動もヘナチョコで。

で、25歳というタイムリミットが近づいて。

トライしたラジオ局の面接で、

ようやっとひっかかったわけだ。

この日のうちに札幌に戻り、自宅に電話する。

面接を受けたことは誰にも話していない。

電話には母が出た。

さっきまで帯広にいたこと。

そして帯広にこの秋開局するラジオ局に採用されたことを話す。

「よかったねえ。じゃあお父さんが決めた会社断らなくちゃいけないね」

決めた会社?

なんと8月から私の就職先は決まっていたそうだ。

やはり逃げ道は無かったのか、ヒャーッ。

電話越しに母が父に、ラジオ局に決まったことを説明する。

電話の向こうに父が出る。

「就職決まったのか?」

「はい。ラジオ局で雇ってもらえることになりました」

父は少し笑い、そしてこう言う。

「うまく逃げたな」

逃げる。

たしかに逃げ切ったよなぁ。

母からは祝福の言葉をもらったが父は言ってくれなかった。

だけど

「うまく逃げたな」

この言葉は、父からの祝福の言葉と受け取った。

それから5年間。

私はラジオ局で働くことになる。

この5年間のラジオの話を母に話したり

放送の同録テープを自宅に送ることがあり、

母から感想を聞くことはあったが、

父からは一度もラジオのことを聞かれたことがなかった。

いまだに無いな。

ちなみに放送局への入社式は8月1日に決まった。

誕生日は8月13日。

25歳になる12日前。

私はラジオ局に逃げることに成功することになった。

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