コミュニティラジオの頃

(14)24歳と11か月の7月バイト先に断りの電話を入れる

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コミュニティラジオの頃 はじめに

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25歳になるまで好きなことで飯が食えなければ会社員になる。

そんな約束を親として、25歳の誕生日まで2ヶ月を切った6月26日。

突然25歳からの就職先が決まった。

8月1日が入社式。

それまでに帯広へ来てください。

親とのタイムリミットはクリアしたが、

今度は札幌とのタイムリミットをクリアしなくてはいけない。

あと1か月と5日のうちに、札幌を離れる。

その準備をしなくてはいけない。

まずバイト先。

この時点のバイト先はコンビニと警備会社。

コンビニは勤務日数を週一に減らしてたのですんなりOKが出る。

もともと演劇なんてものをやってて芽が出るまで働かせてください!のお願いだったので

「放送局への就職が決まりました」

の就職は

「おめでとうよかったねぇ」

と祝福してくれた。

当時バイトしてたコンビニの店長。

たぶん溝手の数歳年上だったと思うが、

とてもよくしてくれた。

たまに飲みにも連れてってくれたし

「溝ちゃんやりたいことを仕事にするんだよ」

と応援してくれた。

帯広に行く前に、送別会もしてくれた。

「帯広行ってもたまに遊びに来てよ」

と言ってくれた。

たしか翌年帯広に年賀状もくれてたな。

でも筆不精でそれきりになってしまった。

あの頃ネットがあれば、SNSなりなんなりで繋がってお互いの近況もわかったんだろうな。

あの時のコンビニには、何回か足を運んだことはあるが

店長らしい人とは会えてない。まだあそこにいるのかな?

元気かな?近況知ってる方、または店長本人が見てたら連絡ください。

警備会社の方は、「社員になりませんか」などと誘われてた。

もちろんなる気は無かったが、こんなだらだら生きてた男でも

誘い口があるのはありがたかった。

電話で札幌を離れることを伝えた

「そうかおめでとう」とも言ってくれた…のだが、

この会社の社長さん。結構お歳な方でその後も何度か電話が来た。

バイトをしていた時の保証人が北見の親だったこともあって

9月か10月くらいに北見の親にも連絡があって

「あんた勝手にやめたって怒ってるよ」

って。

え、なんのこと。

慌てて電話かけたら

「来週から警備のバイト頼めるかい、小樽なんだけど」

「いえ、あの私今帯広で働いてるんです」

「帯広で。どうして?」

説明すると、7月の時と同じで「おめでとう」

実は11月にもまた電話が来た・・・あの会社大丈夫だったのかな?

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