コミュニティラジオの頃

(15)24歳11か月、札幌に別れを告げる夏

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コミュニティラジオの頃 はじめに

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突然一か月後の帯広行きが決まったわけだが、

もろもろの予定やなんやらは消化しなくてはいけない。

7月上旬には友人と四泊五日で大阪へ旅行した。

これも8月から社会人にならなきゃいけないんだなぁ、

じゃあその前にと決めたものだが、

その友人とのお別れ旅行にとって代わった。

劇団メンバーや一緒に舞台をやっている仲間には電話で伝えた。

当時はメールや携帯なんてものがないから

一軒一軒自宅に電話したよ。

祝福してくれる人

驚く人

あぁそうですか、と思った以上に淡白に返す人

いろいろばらばらだったが

中には怒る人もいた。

「俺はどうしたらいいんだ」

知らないよ。

「溝手だけズルいじゃないか」

だから知らないって。

「俺もラジオ局に入れろ」

俺に権限はないよ。

「これからも溝手と仕事できると思ったのに」

本気で悲しんでくれた人もいたな。

「溝手がDJになったら自慢するよ」

まっ、自慢しようにも札幌じゃ聞こえないんだけどね。

7月は札幌のラジオ局のイベントの仕事。

公開イベントでねるとんとカラオケを足したようなもの。

男女がそれぞれカラオケを歌い、気に入った人に声をかける。

で、そこで溝手がやった仕事は天使。

天使のコスチュームを着て・・・イロモノやね。

まっ、普通にカラオケやってる人の後ろで手拍子したり、

次の出演者にマイクを渡したり、

台詞のないアシスタント。

来年からはこういったイベントで

天使のコスじゃなくて自分がマイク持つ立場になるのかなと思いながら。

7月末にはすでに決まってた劇団の舞台。

これが札幌での最後の舞台になった。

キャパ100の舞台で客席は半分くらい。

しかもそのうちの半分は身内。

このあと溝手の送別会やるからついでに舞台見に来たよって人ばかり。

要するに舞台人溝手としては完全に失敗したわけだ。

自分でも才能の無さはわかってたので、

もしこのまま札幌に残って悪あがきしても

小さな舞台で少ないお客の前でやり続けるだけなんだろうなと、

そう思っていたので、これでスパッと辞められる。

バイバイ演劇、でした。

バイトを辞め、演劇を辞め、仲間に別れを告げ、

1994年7月31日

いよいよ帯広へ向かう。

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